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セッション

10日にセッションを受けました。

同窓会の余韻があって
自分の過去に向き合い続けて
他人にそれを話す。
うまく話せない。
きっと自分で自分の記憶をコントロールしている。

自分を通してしか世界を見ることはできない。
あたりまえのことなんだけど、人は客観的に見ていると言う。

‘そのとき’に何を思ったのかなんて
正確に記憶してない。
ドラマでよく印象深いシーンや言われたことを繰り返すとこあるけど
ひとつの言葉や自分の目で撮った景色は思い出せるけど
その前後や周りのことは見えていないことが多い。
覚えてる記憶を都合のいいように解釈してるのでは?
そんなふうにも感じてしまった。
そしてすでに記憶はあいまい。

人はそれぞれ物語を生きている。
これまでの物語を受け取って(セッションして)
ありのままを見、
その人の病の軸となるところ(原因ではない)を見つけ
全体像を描く。

そんなことできるのか。

あますことなくありのまま表れているという。
見えていない部分があるのではと思ってしまう。

なんでこんな大変なことに足を踏み入れてしまったのか。
一度知ったら、知らない自分には戻れない。のに。

でも、
すっぱり忘れて
何事もなかったように
この間までそうしていたように
普通の生活に戻りたいと
思ってしまうのは
逃げなのでしょうか。


なんだかさっぱりわかんないですね。


今日使った言葉、客観的、コントロール、普通、、、
きっとうまく伝わらないな。
いわゆるとかある意味とか一般的に使われているとか
注釈を入れておきます。