わかってしまったのだった。
14日に健康診断だから、
待ち時間長いし、本買って帰ろうと池袋に寄った。
「無敵のソクラテス」
帰りの電車の中で読み始めた。
帰ってから喉が痛くなって、風邪かと思ったら他の症状は出ず、
喉の痛みだけずっと続いていた。
だんだん痛みが下に移動したように思えてきて、
嚥下によって痛みが増す。
一週間、痛みは治まったものの違和感は残る。
その後、極度の疲労。
倦怠感。
朝はちょっと走ったりできるのに、仕事で集中するとどっと疲れる。
立っているのも辛い。
21日、食欲なし、身体重い。
22日から胃が重く動悸、息切れする。
24日朝、少し良くなった。
15期生の最初の授業を聴講。
ノート取りまくって、考えて、またいろんなことが繋がってきた。
終わって、先輩方とお話して、飲みに行って、
すっかり治ってしまった。
気になっていたことが、
認めたくなかったことが、
言葉にうまくできなかったことが、
するっと解決してしまった!!!
おそらく。
わたしは池田晶子という病に冒されていたのでしょう。
やさしいエッセイではそうそうって軽く受け流していたものの、
無敵のソクラテスは結構ハードな内容で、少々読むのに苦痛を感じていたのでした。
しかし、わかりたい!という欲求がこみ上げ、
わからなくてはいけないという強迫観念が私を支配し、
いつの間にかソクラテスが言っているのだからと、
すべてを受け入れなければならないと思い込んでいた。
それは、池田晶子だったのに。
池田晶子が一人称で書いている文章は、そこに個人的見解が入っていても許せたものの、ソクラテスやクサンチッぺに言わしめたら、それはソクラテスやクサンチッぺが言っていると思い込んでしまうよ。
フィクションでなくなる。いかにも本当にそう言うであろうと思い込んでしまう。素晴らしい罠だ。
私にその感受性があったから、覆われてしまった。
急に体力がなくなり、精神と身体が弱くなった。
池田さんが進行性のガンで、急逝した理由がわかった気がした。
哲学~考えることを教えてくれた人だけれど、
ある場所に行き続けると先人達がそうであったように、
やはり精神に支障をきたす。
普遍的なことを考えてはいても、この世に生きているということは、
何らかのフィルターを持つ。
何かおかしい、どこか変。そう気づいてはいたけれど、逃れられなかった。
「それが池田さんの病なんですよ」って先生が言って、
すうっと納得した。
私には断言できなかったこと。
論述問題のレメディの比較の中で、あるレメディに、
受け入れたくないから喉が痛くなるのではないかと書いた。
飲み込みたくない。
そのままそこに繋がった。
読んでいて、苦痛だった。
内容が難しかっただけではなかった。
受け入れられない何かがあったのだ。
繋がっていかない、どこか無理なところを感じていた。
先生がレメディとなって、私を治癒に導いた。
私が感じていてもうまく表せなかったことを的確に表現してくれた。
少し強い言葉で。
成仏ってこういうことをいうのかって思ったよ。
その帰り、すっかり元気になったわたくしは、
先生、先輩といいお酒を飲みましたとさ。
終電逃すほど、、、